『007/ドクター・ノオ』まるで60年代の世界史の縮図
記念すべきシリーズ第一作を支えるのは、ジェームズ・ボンドの男性的エネルギー。
そして、現実の歴史とフィクションが交錯する様子は、さながら60年代の縮図のごとし。
- 007シリーズへの偏見
- 最初のボンド映画、その運命
- 紫煙をくゆらせながらの顔見せ。『ボンド…ジェームズ・ボンド。』
- 思いのほかシブいじゃないか…からのドラゴン
- 初代ボンドガールについて
- 冷戦とアポロとキューバ危機について
Amazon Primeビデオで『007』シリーズの過去作が一挙配信されているのを受けて、今回からシリーズをつまみ食い的にレビューしていきたいと思います。
007シリーズへの偏見
その前に、まずは映画ブログをやっていながら、『007』シリーズを深堀りしたことが無かったことを白状しなければなりません。
もちろん、旧世代オタクの基礎教養としては、歴代俳優の名前や小ネタくらいは知っていましたが、ちゃんと鑑賞したのは、世代的に直撃だったピアース・ブロスナン主演作くらいのものでした。
そして私が、とくに70年代までの007について、偏見を持っていて、避けていたことを認めます。
つまり、こうです。
自己陶酔的なハードボイルド像。
脈絡もなく挟みこまれるお色気要素。
ビックリドッキリなスパイグッズやボンドカー…というイメージです。
一方、映画界隈の諸先輩方においては、今日までコネリーからムーア時代の007について、飽くることなく語り続けておられるくらいですから、きっと初期の007シリーズも、ただの娯楽作に留まらないカリスマ性も持ち合わせているはず。
以上から私が想像していたのは、作品の同時代性が強いゆえに、リアルタイム世代にとっては強烈な印象を与える作品なのだろう…ということでした。
ですから反面、普遍的な文芸作品的な意味でのバリューについては、ほぼ期待していなかったのです。
以下は、もし「ショーン・コネリーの代表作は?」と聞かれたら、迷わず『未来惑星ザルドス』だと答えるくらいの人間だと思ってお読みください。
さて、本稿では、そんな私がシリーズ第1作『ドクター・ノオ』を見て、いろんな意味で偏見に整理をつけていく過程をお楽しみいただければと思います。
最初のボンド映画、その運命
本作はイアン・フレミング原作の『007』映画シリーズの記念すべき第一作であり、旧邦題は『007は殺しの番号』といいます。*1
英国の諜報員で、殺人許可証(殺しのライセンス)を持つ主人公ジェームズ・ボンドが活躍するスパイ・アクション映画です。本作を皮切りに、シリーズは今までに25作が作られています。
長寿シリーズの1作目ですから、ストーリーはじつにシンプル。
ボンドが、アメリカの月ロケット発射を妨害せんとする、悪の秘密組織と対決するというものです。
007といえば、世界各地を舞台にした大規模なロケでも知られていますが、本作でもさっそく、舞台となるジャマイカの降り注ぐ太陽と美しい海が独特の魅力を放っています。
いかにも名所!という感じの海岸や建物だけでなく、地元の漁師の働く漁港や飲食店、駐在所など実在感のある場面も多くて、観光気分というよりは生活感のある、面白い空気感です。
原作者のフレミングは晩年にはジャマイカへ移住していたそうで、彼の存命中に作られた映画だということも、この空気感に影響しているのかもしれませんね?
紫煙をくゆらせながらの顔見せ。『ボンド…ジェームズ・ボンド。』
007もハードボイルド要素のある作品だと思いますが、私はこのハードボイルドというのがどうも苦手です。
というのは、ともすれば『中年男の夢の権化』になってしまう危険をはらんでいて、果てしなくダサい作品となってしまう危険性があるからです。
Z世代の夢が、チート転生する主人公ならば、中年の夢は、クールでモテモテの渋親父…と言ってもいい。
タフで、仕事ができて、経験豊富な完璧人間。そして若い女性にモテるという…自分で書いていて恥ずかしくなってきます。*2
そして、紳士でプレイボーイなヒーローとしてのジェームズ・ボンドは、ある意味そういう『ダサさ』と隣り合わせのキャラクターだと思うのですが、本作におけるショーン・コネリーのボンドは、そこに一線を引いている感じがします。
つまり、ありあまる男性的エネルギーを、任務遂行と、そのための駆け引きに注ぎ込むヒーロー像です。
一見、彼の弱点かのように思われる美女も、ボンドにとっては「心を許す恋愛対象」などではなく、『任務の途中で、隙あらば楽しむための相手』という風情。女性の尻を追いかけることが目的ではなく、さながら、泳ぎ続けないと死んでしまうマグロが、たまたま進路上にいた小魚を食べているようなものです。
ですから、彼には悪女と寝ることに対する葛藤などありませんし、たっぷり楽しんでおいてから彼女を逮捕したり、殺したりすることにも何の躊躇もしないことでしょう。
こういう感じ、日本人としては既視感があります。
そう、さいとう・たかを、小池一夫、池上遼一など、劇画の大先生方のヒーロー像に近いですよね。*3
仕事のためなら何でもやる、一種のモンスター。エネルギーの塊のようなマッチョな男性の理想像。仕事と愛国心という芯が入ることによって、キャラクターが突き抜けるので、ジェームズ・ボンドは『頭を空っぽにして自己投影できる便利な完璧人間』ではなく、『凡人にはとうてい及びもつかない、ストイックな超人』とすることで、ただのナルシズムとは一線を画しています。
もちろん、現代のジェンダー観からするととんでもない作風ではあるのですが、60年代の映画のバランスとしては面白いと思います。
思いのほかシブいじゃないか…からのドラゴン
このように、ショーン・コネリーのボンドのキャラクター性に感心したり、カリブ海の風景にハリー・べラフォンテのことなどを連想ゲームしながら見ていて、思いのほか知識欲を誘う映画だと思ったのですが、やはり007シリーズの原型として、ちょっとした脱力ポイントもあって、安心した次第です。
それが『ドラゴン』です。
今作の敵役であるドクター・ノオは、彼らの秘密基地に地元民を寄り付かせないために『ドラゴンがいる』という噂を流していたのですが、当然、我らがボンドはそんな迷信に惑わされません。
ところがどっこい、いざ基地に潜入したボンド達はついに本物のドラゴンに出くわすのです。
その正体はドラゴンに偽装した装甲車だった!というわけなのですが…。
ちょっと脱力ものではないでしょうか。私は笑ったと同時に、なんだか安堵してしまいました。
武装は火炎放射器しか搭載しておらず、近距離しか攻撃できないようなのですが、ボンド達の方がのこのこ真正面から拳銃で応戦(なんと無謀な…)してくれたおかげで、ドラゴンは立派に戦果を上げます。
うん、ゆるい。楽しいです。
恐らく、ドクター・ノオ自体が中国系の血を引いている設定だから、オリエンタリズムまがいの連想ゲームでドラゴンを登場させたのかなと愚考しますが、真相はどうなんでしょうね?
60~70年代の007にはわりと東洋趣味な傾向が*4見られると思うのですが、ドクター・ノオの設定についてはどう捉えたらいいのか迷います。ニクソン訪中よりも前だから、ソ連と中共というのが「東側の敵国代表」のイメージだったんでしょうか?
なにぶん若輩ゆえ、この辺りの背景にお詳しい方、ぜひ教えてください。
初代ボンドガールについて
007といえば、その親しみやすさの理由としてボンドガールの存在は外せないと思います。
本作では、初代ボンドガールとなるハニー・ライダーが登場します。
突然、白ビキニで海から現れるグラマーな女性で、性的魅力にあふれているのに無垢で無邪気。言い換えると、いかにも頭が弱くてステレオタイプなブロンド女性と言えるかもしれません。
ドクター・ノオに対しても、父親の仇という接点はあるものの、さほど復讐に燃えている様子もありません。
というか、秘密基地の島に来ていたのも貝の密漁のためでしかなく、巻き込まれただけという感じが否めない。
むしろ、前半でボンドをハニートラップにかけようとして返り討ちにあう悪女ミス・タロ(この人も中国系の設定らしい…あまりそうは見えません)のほうがヒロインというに相応しかったような気がします。
ボンドガールに関しては、シリーズを通じて見られる要素だけに、たぶん時代の写し鏡として一番興味深いのではないかと思うので、次作以降についても引き続き、報告してみたいと思います。
冷戦とアポロとキューバ危機について
さて、本作は1962年10月公開の映画です。
ストーリーは、「アメリカの月ロケット計画」を、「カリブ海の島から」妨害電波を出して邪魔するという陰謀の話でした。
となると、連想せざるをえないのが、アポロ計画とキューバ危機でしょう。ちょっと時系列を整理してみましょう。
- 1957年10月 スプートニク打ち上げ
- 1959年1月 キューバ革命
- 1961年5月 ケネディが「60年代のうちに月到達」宣言、NASA設立へ
- 1962年10月 『007/ドクター・ノオ』イギリスで公開
- 1962年10月~11月 キューバ危機
- 1963年5月 『007/ドクター・ノオ』アメリカで公開
- 1966年2月 アポロ1号打ち上げ
- 1968年12月 アポロ8号が月周回軌道に到達
- 1969年7月 アポロ11号が月面に到達
なんと、『007/ドクター・ノオ』は、ケネディの月到達宣言の翌年に公開され、そしてちょうどキューバ危機と公開時期が一致しているのです。
これはちょっとすごいタイミングですね。どちらの話題についても、これ以上ないほどホットな時期に公開されているのですから。
もちろん原作小説は58年に出版されていますから、原作者フレミングの先見の明もあったのかもしれませんが、特にキューバ危機の方については、偶然にしても出来すぎというか、凄いタイミングと思います。
激動の60年代をきれいに予見した作品という意味でも、メモリアルな作品なのではないでしょうか。*5
むしろ、この公開時期のドンピシャ加減が本作の格を押し上げ、のちのシリーズ化にも繋がったのかも?と想像するとテンションが上がります。
このあたり、リアルタイム世代の方のご意見をぜひとも伺ってみたいものです。
歴史あるシリーズの1作目にふさわしく、好奇心を呼び起こしてくれる作品でしたね。
以後007シリーズはもっと要素が追加され、華々しくなっていきますが、本作にしかない魅力があると思います。