『ブラックパンサー』この高らかなアフリカ賛歌は、すべての人類を魅了する
元祖・黒人スーパーヒーローの映画は、豪華で魅惑的なアフリカ賛歌だった!
史上初かもしれない『根っからポジティブな黒人映画』に酔いしれるべし!
- 『歴史的傑作』というものすごい前評判
- 『史上初の黒人スーパーヒーロー』とその時代背景
- 『根っからポジティブな黒人映画』の誕生
- ブラックパンサーは世界に向けた『高らかなアフリカ賛歌』である。
- ワカンダを揺るがすのは、理想と現実の戦い
- ワカンダが、MCUの世界を現実から切り離していく
『歴史的傑作』というものすごい前評判
話題沸騰中のMCU最新作『ブラックパンサー』、ようやく観てきました。
本作の何がすごかったかって、ものすごい前評判の高さ。
日本公開前から『歴史に残る傑作』とか『アフリカ系の歴史を補完する深いテーマ性』とか、そんなに褒めてしまって大丈夫なのかというほどの大仰な絶賛の声が聞こえていました。
鑑賞前からハードルが上がりまくっていた訳ですが、実際に観てみた今となっては、そのように評価する方々がいるのも納得です。
本作はスーパーヒーローの映画として魅力的なだけでなく、題材から派生する問題すべてに答えを示していて、単独ヒーロー映画の枠を超えるテーマ性の広がりがありました。
そして、アメリカ映画における黒人主体の映画としても非常にエポックメイキングな作品だと感じました。
この先、何年も経ってMCUが過去のものになったとしても、『ブラックパンサー』は時々見返したくなる映画だと思います。
以下、なるべくネタバレは避けつつ、 筆の向くまま語ってまいります。
『史上初の黒人スーパーヒーロー』とその時代背景
そもそもブラックパンサーというキャラクターは、アメコミの主役級スーパーヒーローとしては史上初めて登場した黒人のキャラクターだと言われており、アメリカ黒人文化の中では一つの象徴的存在だといいます。
映画や文学などの他のアメリカ文化の例にもれず、アメコミの世界でも『ヒーロー=白人』という時期が長くあったのですね。
MARVELはコミック業界の中では、比較的早くから「白人以外のキャラクター」を登場させてきました。
(DCでは歴史の古いキャラクターが多いだけに、いまだにメインを張れるキャラはほぼ白人ですね。)
それまで黒人キャラは、たとえばロビー・ロバートソンのような脇役キャラはいても、スーパーパワーをもちメインを張れるキャラクターは長らく存在していませんでした。
そういう意味で、登場当時のブラックパンサーは画期的な存在だったと聞きます。
初登場時はFF誌のゲストキャラクター
それを裏付けするのが、当時の時代背景です。
ブラックパンサーの登場した1966年というのは公民権運動後の動乱期に重なり、まさに激動の時代だったことは想像に難くありません。
・ワシントン大行進と『私には夢がある』の演説が1963年
・公民権法の成立が1964年
・マルコムXの暗殺が1965年
・キング牧師の暗殺が1968年
公民権法が成立後も法律に実態は追い付かず、激しい人種差別や、それに対抗しようとする黒人側の過激な運動が続いていた状態で、ブラックパンサーは登場した訳です。
おそらく『黒人スーパーヒーロー』の存在自体のインパクトが絶大だったでしょうし、象徴的存在だというのも納得です。
1966年のブラックパンサー登場を皮切りに、今でも一線級で活躍する黒人ヒーロー達が70年代にかけ、続々とデビューしました。
男性キャラならファルコン、パワーマン(ルーク・ケイジ)、ブレイドなど。
女性キャラならX-MENのストームやミスティナイトなどです。
いずれもMCUなどの映画やドラマに登場して、おなじみの面々ですね。
※ちなみに、1966年というのはスタートレック(TOS)が放映開始した年でもあります。人種問題でいかに大きな変化があった時期か、よく判りますよね。
『根っからポジティブな黒人映画』の誕生
さて、そんな象徴的キャラクターの単独主演映画である本作は、当然『元祖・黒人ヒーローとしての在り方』を問われる訳ですが、『ブラックパンサー』は周囲から期待されるよりも遥かにスゴいものを提示してみせました。
私が『ブラックパンサー』を鑑賞して素晴らしいと感じたのは、本作は私の知る限り初めての『根っからポジティブな黒人映画』ではないかということです。
どういうことかと言いますと、『アフリカ系人種であること自体を全面的に肯定し、礼賛している』という意味です。
過去にも、主要キャストやスタッフを黒人で固めたり、黒人文化を大きくフィーチャーした映画はありました。
典型的なところでは『黒いジャガー』がそうでしょうし、モータウンが作った「オズの魔法使の黒人キャストオンリー版」である『ザ・ウィズ*1』も個人的には印象深いです。
ただ、私はそれらの映画からは『根本的なポジティブさ』は感じていなかったのですよね。
アメリカという国では、黒人というのは結局は「少数派」です。
そのため、上記に挙げた作品達はどうしても『マイノリティの映画』でありました。
「マイノリティの身内にウケる映画」
であるか、もしくは、
「マイノリティゆえ、逆境に立ち向かってやる!という反骨精神の映画」
…ということになりがちだったと思います。
「自分たちがマイノリティであるという自覚」や「人種差別が厳然と存在する」ことが前提として制作動機になっている映画です。
ですから、黒いジャガーにしてもザ・ウィズにしても、「一部の黒人層を中心にカルト的人気」という作品でしかなかったと思います。
では、『ブラックパンサー』は他の映画と何が違うというのか、語っていきます。
ブラックパンサーは世界に向けた『高らかなアフリカ賛歌』である。
本作はアフリカの文化を、単に身内向けに礼賛するにとどまらず、それを「他の人種が観ても羨むような、魅力あふれる形で」送り出しているのです。
すなわち、「黒人=マイノリティである」「黒人=人種差別の被害者である」というネガティブな出発点からではなく、『我々はこんなにも素晴らしいし、美しいのだ!』というポジティブな出発点から始まっているのです。
本作はこの『根本からしてポジティブ』な制作動機が、今までの作品とは完全に一線を画します。
そして、それを実現するための最大の舞台装置が、『アフリカに存在する超リッチな技術先進国』、ワカンダという国です。
このワカンダという存在が、本作では途轍もなく大きな役割を果たしています。
近世以降のアフリカの歴史は、搾取され続けた歴史でありました。
おもに白人国家による侵略、奴隷貿易、植民地化などの過酷な搾取が何世紀にも渡って公然と行われました。
アメリカの黒人文化は、「奴隷としてアメリカに連れてこられた」という歴史上、白人主体の文化に順応するところから始まっています。いわば出発点からしてネガティブなのです。
だから本作では、「アフリカ系アメリカ人の文化」ではなく、「アフリカ」なのです。
だから、ワカンダなのです。
ワカンダは『白人に侵されることなく、ストレートに進化したアフリカ文化の権化』であり、伝統とテクノロジーの融合した、まさに絵にかいたような理想形です。
ワカンダは、黒人のルーツであるアフリカの『正当進化』を見せつけます。
本作の魅力は、ワカンダの魅力だと言っても過言ではありません。
ワカンダのビジュアル面は本当に素晴らしかったです。
デザイナーの意図について、詳しくはこの記事に書いてありましたので、ぜひ読んでみてください。
アフリカの儀式用の仮面や民族衣装、布や刺青に使われる紋様のパターンなどのデザインが優れていることは、ピカソの有名なエピソードを紹介するまでもなく、よく知られるところです。
本作はワカンダというアフリカ文化のテクノロジー先進国をじつに美しくデザインしており、衣装、メイクから街並み、乗り物、武器にいたるまで、全てが見どころ。手間暇と予算を惜しまない、贅沢きわまる出来です。
とくに、ワカンダの民がテクノロジーと同じくらい伝統を重んじていることが一目で伝わる、戴冠の儀式の素晴らしさ。
こうした美しいビジュアルの数々だけでも、本作は後々まで語られるべき映画と言えるでしょう。
ワカンダを揺るがすのは、理想と現実の戦い
前項で書いたように、本作は理想郷であるワカンダを美しく、誇り高く描いたことで、従来とは異なるポジティブな黒人映画として成立しました。
本作が偉いのは、ワカンダという国を創造した時点で当然生まれる疑問にも取り組んでいることです。
すなわち、
『ワカンダは、自分達だけが良ければいいというのか』
『現に、世界中で苦しみ抑圧されてきた同胞の黒人達や、他の弱者達のことは見捨てるというのか』
という問題です。
この問題を象徴する存在が、本作のメインヴィランであるキルモンガー。
コミックでも主要な悪役の一人である彼ですが、映画版の設定改変によりブラックパンサーと対になる関係に落とし込まれ、実にいい役回りを演じます。
ワカンダとブラックパンサーを黒人文化の理想の象徴とするなら、キルモンガーはアメリカなどの他地域で抑圧されてきたアフリカ系の人々の、現実の象徴です。
ここまで踏み込んだことで、本作はただビジュアルの画期的な映画というだけでなく、国籍に関わらず、アフリカ系の人々すべてへの福音となる映画になっています。
あと1点、誤解があってはならないので言っておきます。
本作は黒人文化を中心とした歴史的・人種問題的なテーマは扱ってはいますが、作中で『人種による差別』は一切していません。
白人や東洋人のキャラも出てきますが、彼らが黒人でないことを理由に悪役にしたり、バカにしたり、のけ者にすることはありません。
私の覚えている限りでは、『黒人』という言葉すら一度も出てこなかったかと。
『スパイダーマン ホームカミング』でも感じましたが、不自然な配慮ではなく本当に人種の面でニュートラルに映画が作れる(それでも興行収入などの売上が稼げる)ようになってきたのだと感じます。
ハリウッドがこんな映画を作るようになったかと思うと、本当に隔世の感です。
ワカンダが、MCUの世界を現実から切り離していく
さて、そんな『ブラックパンサー』を世に送り出したMCUですが、忘れてはならないのは『アベンジャーズ インフィニティー・ウォー』が控えていることです。
この記事でも書きましたが、いよいよMCUの地球のヒーロー達も、宇宙デビューしていくことになると思われます。
『マイティ・ソー バトルロイヤル』からの流れで、おそらくソーとアスガルドの民、そしてサカール星の剣闘士達がアベンジャーズ本編に合流しますし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の合流も決定的です。
今までMCUの地球のヒーロー達は、『ほぼ現実と変わらない地球』を舞台に、『ヒーロー達の周辺にのみ存在する非現実』(超科学や魔法)にスポットをあててきた感じで描写されていました。
しかし、本格的宇宙デビューを控え、地球が戦場になることをふまえると、舞台である地球自体も『現実からの脱却』をする時期が来ています。
その立役者となるのがワカンダと、その王であるブラックパンサーなのでしょう。
ワカンダは、今までの地球を舞台にしたMCU作品の中ではダントツに先進的なテクノロジーと超強力な資源を誇っています。
それはもう、天才トニー・スタークの技術力が霞んでしまうくらいです。
本作『ブラックパンサー』のラストでティチャラの下した決断が、おそらくワカンダ以外の全ての地域に対して技術革新をもたらし、サノスの軍隊相手に戦える力を与えていくことを思うと、非常にアツい展開ではあります。
そういう意味でも必見の『ブラックパンサー』、非常に楽しませてもらいました。
MCUに肩入れしていない方にも、ぜひオススメしたい一本です。
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*1:看板スターであるダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンをメインキャストに据え、脇役からエキストラまでキャストは全員黒人という異色作