ソウル・エデュケーション

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スタートレック︰ディスカバリー シーズン1 12話『大それた野心』レビュー

ジョージャウ皇帝の宮廷艦へと乗り込んだマイケルとロルカ

しかしつくづく、ディスカバリーは楽しみ方にコツを要求する作品。

 

 

 

スタートレックディスカバリー

Season 1 Episode 12

『大それた野心』

原題:"Vaulting Ambition"

 

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ジョージャウ皇帝をとりまく鏡像宇宙の血なまぐさい政争に巻き込まれた模様。



 

【本記事は視聴済みの方向けのレビューです。ネタバレを含みます!】

 

 

 

さて、スタートレックの最新シリーズであるディスカバリーも、シーズン1の佳境を迎えようとしています。

今回もなかなか激動の展開でしたが、本話を含めて残り4話、どんな展開を見せてくれるのでしょうか?

 

 

 

 

・宮廷艦『ISSカロン』登場

 

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巨大な空洞をもつ船体がディデリデクス級ウォーバードを彷彿とさせる。

 

皇帝と議員たちが乗艦しており『宮廷』でもあるということは、この艦自体が帝国旗艦であり政治の中枢といったところでしょうか。

今まで私はテラン帝国というものは地球が『帝都』のようになっており、皇帝の居城があるイメージで想像していたんですが、謀反・下剋上が当たり前のテラン帝国においては、だからこそ皇帝自らが強大な戦闘力を持った艦に常在したほうが安全ということなのかもしれませんね。

 

外観的には、巨大な空洞をもつ船体は、TNGなどに登場したロミュランのディデリデクス級ウォーバードを彷彿とさせます。

しかし、こちらは空洞の中に燃え盛る巨大な光球を抱え込んでいる模様。

 

ウォーバードの場合は人工マイクロブラックホールを動力にする都合上、あのような形になっているという設定だったと思いますが、ISSカロンのそれも似たようなものかもしれませんね。

人工太陽をエネルギー源にしている、とか。

 

しかし、見た目の質感も『バビロン5』の地球同盟の戦艦みたいだし、他の連邦船のデザインからするとかなり異質です。

ISSシェンジョウをはじめ、惑星連邦と同名・同デザインの宇宙艦を開発しているはずのテラン帝国の船とは思えませんね。

 

 

 

ジョージャウ皇帝の専制政治

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皇帝の権力の凄まじさ、力で押さえつける強烈さの描写が印象的です。

マイケルが『奥の手』として自分たちの出自を明かしたシーンでは、周囲の議員達をヨンドゥかマグニートーのごとく一瞬で殺してしまいました。

絶大な権力をもつ皇帝にとっては何のリスクもない所業なのでしょうね。

 

今までのシリーズでは、鏡像宇宙はギャグ要素の強いエピソードが多かった印象です。

登場するテラン帝国の士官たちは確かに残虐・冷酷ではあるのですが、だからこそ滑稽に見えたり、元の世界を知る我々にとってはギャップが大きすぎて笑いを誘ったりしたものです。

 

実際に残虐行為が書かれたこともありますが、あまりリアルな痛みや死を感じさせるものではなかったと記憶しています。

今回の残虐描写の生々しさ・強烈さは、そういう過去の積み重ねを一瞬で払拭してしまいましたね。

 

 

 

 

・ケルピアン料理…!スタートレックでそれをやるか!!

 

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今回一番問題にしたい、会食シーン。

 

先に述べた『テラン帝国の残虐描写の生々しさ・強烈さ』の極みと言えるのが、『ケルピアン料理』

 

まさか、スタートレックでこれをやってしまうとは…!

見ていて、唖然とするほかありませんでした。

 

ヒューマノイドヒューマノイドを調理して食べる』という描写、しかも『リスク神経を食べろ』などとキャラクターに言わせ、あまつさえ主人公に口にさせるとは…。

 

 

これがたとえば『スターゲイト』とか、他のSF作品であれば何も言いません。

この世界の圧政と異民族に対する差別主義を際立たせるための演出だと納得するでしょう。

ゾンビものとかスプラッターホラー作品であれば、むしろ『いいねぇ、もっとやれ』と笑って見るかもしれない。

 

 

しかし、これはスタートレックの正式なタイトルです。

世界観説明のために、これほど悪趣味で下劣な表現をする必要など、断じてありません。

 

子供に見せたくないスタートレックなど、誰が望んでいるのでしょう。

『斬新』と『ショッキング』を取り違えているのでは?

 

 

 

 

・スーパースタメッツタイム

 

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 さて、マイセリウムネットワークに取り込まれたスタメッツですが、もう一人の自分との邂逅を果たしました。

 

どうやら、以前から鏡像宇宙のスタメッツがネットワークを通じてイメージを送っていた事は判りましたが、今のところそれに深い意図は無かったようです。

我々のスタメッツほど優秀でない、軽薄そうなキャラクター。

 

そしてネットワークの中に現れるカルバー…。

しばし二人きりの時間を過ごしますが、このシーンは実にせつないものでした。

スタメッツがカルバーの死を本人から知り、しばしの別れの時間を過ごすことができたのは何よりだったと思います。

 

 

 

・スタメッツが入れ替わり?してしまった件

 

これに関しては、鏡像宇宙的にはむしろ原点回帰的な展開と言えましょう。

 

TOSでの鏡像世界の初登場エピソード『イオン嵐の恐怖』では、カーク達が転送機の不調で鏡像宇宙のエンタープライズに転送されてしまい、その際に鏡像宇宙のカーク達と中身が入れ替わったような形になっていましたので。

今回のように船ごと鏡像宇宙 に紛れこんでいるケースの方が、どちらかというと珍しいケースでしょう。

 

 

 

・ルレルの愛が深い件

 

植えつけられた人格と元の人格がせめぎ合い、苦しむタイラー=ヴォーク。

 

サルーは彼を何とかしようとルレルの説得を試みるも、ルレルは『クリンゴンのため、ヴォーク自身の選んだ道だ』と毅然とした態度で拒否

 

しかし、愛するタイラーの苦しみようを見て、ルレルは彼を助けることを決断する。

 

…という展開を見て、『ルレルがヒロインだったか』と思ったのは私だけではないはず。なんと愛情に満ちた優しい女性ではないか。(ヒロインにしては顔は怖い)

 

 

 

 

・まさかのロルカ

 

そしてロルカについて驚愕の事実。

これは予想外の展開でした。 

 

戦争好きで手段を選ばない人格は艦隊士官らしからぬ人物だとは思っていましたが、まさか鏡像宇宙の出身者だとは。

 

それが今後のストーリーにどれほどの意味をもつか未知数で、まだ何とも言えませんが、恐らく残るシーズン1の3話については話の中心となる要素でしょう。

  

 

 

 

本ブログのスタートレック関連記事、ディスカバリーの各話レビュー はこちらから。

soul-jam.hatenablog.com

 

 

 

 

 

・しかしまあ、ディスカバリーは楽しみ方が難しい。

 

 

ここから下は私の与太話、雑談です。

 

ちょっとネガティブなことも書きますので、ディスカバリーを純粋に楽しんでいる方は読まれないことをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年寄りの愚痴っぽくなってしまいますが、あえて少し書きます。

 

基本的に私はディスカバリーを好意的な目で見てきましたし、「スタートレックらしさ」の希薄さも含めて、このチャレンジブルな新作を応援していく気で視聴してきました。

 

このブログで毎話レビュー記事を執筆しているのも、読者の方が本編とあわせて毎週記事を見てくれることで、よりこの作品を楽しんでもらえるように願う気持ちがあるからです。

(更新が遅い時は、本業の忙しさ故です。)

今もその思いはあるのですが、正直なところ、最近継続するのがキツくなってきました。

 

 

その心境の変化が起こった契機は、『スター・ウォーズ 最後のジェダイの鑑賞でした。

 

この映画は、本当に、爆弾でした。

 

『最後のジェダイ』が巻きおこしたセンセーションを目の当たりにし、鑑賞後の私の心に後からじわじわと効いてくる鈍い痛みを巻きおこされた結果、ディスカバリーに対する考えにも変化が生じてきています。

 

 

最後のジェダイに関しては、あらためて整理をつけねばならないと考えているので、別記事を書きおこすつもりです。ここでは深く触れません。

 

 

 

断片的に申し上げるならば、次のようなことです。

 

 

「ファンの予想を裏切る」ことは良いことかもしれないが、それは「ファンが見たいものを見せない」という意味ではない。

 

「観客が見たことがないものを見せる」というのは、「予測不能のショッキングな展開が目白押し」という意味ではない。

 

舞台装置としてのSFではなく、SF的世界やメカニックありきの作品であるなら、それはせいぜい「SF風のアクション映画」でしかない

 

 

…といったようなことです。

 

これらを総じてまとめるならば、『センス・オブ・ワンダーの欠如』とでも言うしかないのかもしれません。

同種の問題は、別にSFに限ったことではないとは思いますけども。

 

 

 

誤解しないで頂きたいのは、これらの感想はディスカバリー』や『最後のジェダイ』を否定するという意味ではないことです。

評価すべきところは沢山ある、ただ、受け入れがたい部分が大きいだけなのです。

 

 

 

実は私はこの感覚に覚えがありまして、それは初期の平成仮面ライダーシリーズを観ていた時のことでした。

私は青年になってから平成ライダーを見始めた後発組なのですが、『龍騎』~『カブト』くらいまでのシリーズを毎週楽しみに見ていたものです。

 

しかし、とくに『555』の中盤や『響鬼』の後半あたり。

「裏切りのための裏切り」のような展開が多く、毎週のその場限りのクリフハンガーに一喜一憂するのに疲れてしまったのですね。

それでも惰性でカブトまでは見ていましたが、しだいに「もう追いかけなくていいや」と、なったんです。

 

視聴者を楽しませる斬新な展開というのは、次週に繋ぐための中身のない「引き」や、ヒーロー仲間同士のイザコザを延々と見せたり、人が死んだりすることではないと思ったものです。

 

 

 

スタートレックに関して言えば、TOS以降のTVシリーズ各作品は今見ても、何度見ても楽しく興味深く、普遍的な魅力を持っています。

だからスタートレックについては、仮面ライダーの時と同じ感覚を抱くことは無いと思っていたのですが…。

ディスカバリーに関しては、ちょっとそれが出てきてしまっています。

 

 

 

『新しいものを受け入れがたい大人』に変わっていくというのはこういうことなんでしょうか。

だとしたら、悲しいことです。

 

 

まあ、ディスカバリーの場合は場当たり的な展開ではなく、計算されて行われていると思われるのが救いです。 

きっと、一本筋の通ったドラマとして集約していってくれることでしょう。

今のところ主要人物が全員『自分のアイデンティティ』に向き合うようなドラマになってきていると思いますので、そこに期待します。

クリンゴンや今回のケルピアンの件など到底受け入れられない部分はあるものの、今後も基本的には応援していくつもりでいます。

このレビュー記事にも引き続きお付き合いくださいますようお願い致します。