映画『ロード・オブ・ザ・リング』を10倍楽しむガイド
映画『ロード・オブ・ザ・リング』3部作が好きです。
不朽の名作だと思っています。
世の中にファンタジー映画は数あれど、あれほど壮大で格調高く、徹底的に統制された映画は、今後もほとんど出てこないでしょう。
でも、映画を観ただけでは『ロード・オブ・ザ・リング』を本当に楽しんだとは言えません。
というのは、映画の裏には膨大な量の世界設定やバックストーリーがあって、それを知っていることで、「さらに何倍も映画を楽しむことができる」からなんです。
こんな言い方をすると、賢明な読者の方は、きっとこう思われるはず。
『原作小説を映画化するにあたり、カットされた要素があるんでしょ?』
たしかに、半分は正解です。
しかし、それだけにあらず。『ロード・オブ・ザ・リング』の場合、ことはさらに深淵です。
というのは、映画はおろか原作小説『指輪物語』の中ですらも直接的には説明されない、「知っていれば納得」という設定がじつに多いからなんです。
そしてその、舞台裏にある重厚無比な設定こそが、場面と場面、人物と人物、時代と時代を結びつける重要なファクターなのです。
こうした設定は作者トールキンの著作や書簡などに遺されており、いまだにファンの興味を引いてやみません。
ありがたいことに、映画『ロード・オブ・ザ・リング』はそうした設定を尊重して、かなり矛盾のないように作られています。
逆に言えば、映画だけを観ても「えっ、それって何?」「どういうこと?」と釈然としない部分があったり、逆にファンからすると『設定を知っていれば、このセリフはもっと面白いのに!』と思う部分も多いのです。
というわけで今回は、『映画は好きだけど世界設定はよく知らない』という方へ、映画『ロード・オブ・ザ・リング』3部作をもっと楽しんでもらうための予備知識をお届けしたいと思います。
解説すべき点は数え切れないほどあるのですが、今回は導入篇として、ポイントを10個に絞りますね。
ぜひ、これらの知識をもって映画を観直してみてください!
※映画『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を未見の方は、ネタバレ注意
映画『ロード・オブ・ザ・リング』を10倍楽しむガイド
Index
Ⅰ. 実は『異世界ファンタジー』ではない!
最初に、ロード・オブ・ザ・リングの舞台となる世界『中つ国』*1についての大きな誤解を晴らしておきましょう。
おそらく一般的には、中つ国のことを『架空のファンタジー世界』だと思っている方が多いと思いますが、 それは大きな誤解です。
じつは『中つ国』は、我々の住んでいる地球、それも大昔の地球なんです。
ですから、『指輪物語』や『ホビットの冒険』で描かれた出来事も、あくまで歴史・伝説・伝承のたぐいであって、「フィクション」ではない…という設定なのです。
物語の舞台となっているのはヨーロッパ地域で、劇中に出てくる地図の地形も現実のヨーロッパとおおよそ符号します。たとえばホビット庄はブリテン、ミナス=ティリスはヴェネツィア、モルドールはトルコにあたるそうです。
このことから分かるように、じつはロード・オブ・ザ・リングは『創世神話』の一面を持っています。
天地創造から始まって、神々が支配する世界から、「人間が支配する世界」にいたるまでの、数万年におよぶ経緯がすべて設定されているんです。
『ロード・オブ・ザ・リング』劇中で描かれるのは、その最後の最後にあたる、数年間の『指輪戦争』と呼ばれる時期なんですね。
映画でも、最後にはサウロンという古からの悪が滅び、エルフや魔法使いは中つ国を去って、これから人間の時代が来る…というエンディングを迎えていたと思います。これは、中つ国が現在へとつづく『人間の支配する世界』になっていくことを示唆しているんです。
Ⅱ. 本当の原作者はフロド!指輪物語の「メタ構造」について
前項で説明したように、ロード・オブ・ザ・リングは創作神話の側面をもっています。
ですが、世の中にあふれる他の創作神話とは一線を画している点があります。
作者のトールキンという人はとてつもない凝り性で、みずから神話を作るだけにはとどまらず、かれの創作物がただの「創作」に収まらないためのギミックまで仕込んでいたんです。
映画にもあった「フロドの執筆シーン」を思い出してください。
3作目『王の帰還』の終盤、フロドが自伝を書き上げ、『The Lord of the Rings』とタイトルを書き込むシーンがありましたね。
その後、フロドが西方への船出の時にサムに託した、あの赤い表紙の大きな本。
じつは設定上、この本こそが、「『指輪物語』の原典」なのです。
一体どういうことか。
実は、原作小説『指輪物語』が出版されるまでの経緯に、メタ構造的な設定が作り込まれているのです。
前項で説明したように、中つ国というのは大昔の地球だということになっています。
フロドが書いた本は、その後もたくさんの写本が作られながら伝承されていったのですが、長い年月が経過するとともに人々から忘れ去られてしまいました。
ところが20世紀になって、古い伝承の研究者であるトールキンが、写本のひとつを「発見」します。
トールキンはこの写本を研究し、英語に翻訳して出版することにしました。
それこそが、1954年に刊行された小説『指輪物語』だった…というのが表向きの"出版の経緯"なのです。
もちろん実際にはトールキンが『指輪物語』を書いたのですが、このメタ構造により「原作者はあくまでも、大昔に実在した人物フロド・バギンズ」であって、トールキン自身は「伝承の研究者であり、英語への翻訳者」という立場に収まっているわけです。
このメタ構造の、ただならぬ凄さがお分かり頂けるでしょうか?
たとえトールキンがどれほど優れた作家であっても、かれは20世紀の人物です。
彼がどんなに優れたオリジナル神話を作ったとしても、それはフィクション。ひとりの作家が書いた『創作物』にすぎませんから、どうあがいても、ギリシャ神話や旧約聖書のような、実際に長い歴史とともに成立してきた「リアルな神話」と同じ土俵に立つことはできません。
しかし、トールキンはここでメタ構造を採用することで、指輪物語を『大昔に存在していた神話』だったことにしてしまいました。
結果として、指輪物語は『トールキンひとりが創作した神話』ではなく、ギリシャ神話などと同列の『歴史が紡いだ神話』ポジションへと格上げされているのです。
65年も前の作品なのに、この凝りに凝った設定。
トールキンという人がどれだけ「こじらせた」人だったのか、その一端をあらわしているとは思いませんか?
Ⅲ. サウロンは何者か? 神と、天使と、悪魔の存在
ところで、『ロード・オブ・ザ・リング』には、我々が現実に見たことのないような不思議な種族・動物・魔法などがたくさん登場します。
しかし劇中ではそれらのバックグラウンドはほとんど語られないため、『物語の中での役割は分かるが、実のところ何者なのか分からない』キャラクターが多いと思います。
その最たるものが、ラスボスである『冥王サウロン』です。
映画では1作目『旅の仲間』の冒頭では、猛威をふるう強大な存在として。
そして、本編ではバラド=ドゥーアの塔に「燃えさかる眼」の姿で顕現しており、そのビジュアルはインパクト抜群でした。
物語の最大のキーアイテムである「指輪」を作ったのも、かれです。
しかし、映画を見ても肝心の「そもそもサウロンは何者なのか」については分かりません。ですから、観客はかれのことを王道的なファンタジーの「魔王」的な存在なのだろうと勝手に納得せざるをえないのです。
実際のところサウロンは何者なのでしょうか?
結論から言うと、サウロンは『堕天使』です。
じつは、中つ国には創造神、天使、そして堕天使も存在するのですが、映画の中でそういう説明はありませんから、藪から棒に思われてしまうかもしれませんね。これらについて説明するには、作品世界の根本について触れなければなりません。
まず、世界のはじまりから。
中つ国を創世したのは、創造神『エル』と、その眷属である精霊たちです。
エルと精霊の関係は、一神教でいうところの「神と天使」だと思ってもらえば、おおむね問題ありません。
エル自身は全能の存在ですが、中つ国に降臨することはありません。
実際に中つ国でエルフや人間たちと関わりを持つのは精霊達の役目です。
そして精霊達の中にもランクがあり、特に実力ある幹部級の「大天使」と、それ以外の「下級天使」が存在します。
大天使のことは『ヴァラ』、下級天使のことは『マイア』と呼びわけています。*2
…なんだか急にいくつものカタカナ用語が出てきて恐縮ですが、サウロンを語る上でこの説明は外せないんです。
なぜならサウロンの正体は、下級天使『マイア』の一人だからです。
マイアだったサウロンが、映画ではなぜ魔王のようになっているのか。
ざっと経緯を紹介しましょう。
『中つ国』が創世されたとき、エルはヴ精霊達を中つ国に遣わして、「この世界にはいずれエルフや人間たちが誕生する予定だから、その時のために住みやすい世界の下準備をしておいてね」…と命じました。
そこでヴァラやマイア達は、美しく住みやすい世界づくりをしていったのです。
しかしヴァラの中に、エルに逆らった者が出ました。
かれの名前は『モルゴス』*3といい、キリスト教でいうところのルシファー的な存在です。
モルゴスはとても強い力を持っていたので、マイアの中にはかれに臣従した者達も出てしまいました。かれらは主神エルに背いたので、いわば堕天使だと言えます。
そして、モルゴスの部下となった堕天使の中で、ナンバー2のポジションに就いたのが、何を隠そうサウロンでした。
モルゴスの一党は他のヴァラやマイア達の世界づくりを妨害した為、両者の間では戦いが起こりました。
戦いは熾烈を極め、とても長い間続いたのですが、なんやかんやの果てにモルゴスは倒され、中つ国から追放されることになりました。
しかし一派の残党はしぶとく生き残っており、次のリーダーとして、モルゴスの後釜に座ったのがサウロンだった…というわけです。
サウロン自体はモルゴスほどの力は持っていませんが、元は天使ですから、人間から見れば魔神のごとき超常的存在にあたります。
サウロンは知性派な性格で、自身の力で圧倒するよりも、陰謀や策略をめぐらす奸計のほうを好みます。人間やエルフ達の心を惑わしたりして暗躍し、数千年にわたり暗躍を続けました。
そして『ロード・オブ・ザ・リング』の時代から遡ること3000年ほど前、ついにサウロンは強大な軍勢を終結させて、中つ国の支配をするために進軍を開始し、それをさせじとするエルフ・人間の連合軍と正面から対決するに至りました。
その戦いが、映画1作目『旅の仲間』の冒頭の回想シーン(最後の同盟の戦い)です。
あとの経緯は映画でも描かれた通り、サウロンは王子イシルドゥアによって指輪を失い、力を削がれてしまいます。指輪は長きにわたって川底に沈んでいましたが、2500年ほど経った頃、ゴラムによって発見された、という経緯です。
説明が長くなりましたが、サウロンが何千年にもわたり中つ国に悪意をもたらし続けてきたキャラクターであることが、お分かりいただけたでしょうか。
モルゴスの部下だった時代に始まり、自らが冥王となってからも手を変え品を変え、エルフや人間たちに敵対してきた、いにしえからの強大な存在なんです。
Ⅳ. そもそも『指輪』とは何だったのか?
さて、ここでいよいよ物語の最重要アイテム『指輪』について説明しましょう。
『ロード・オブ・ザ・リング』というタイトルにも『リング』と入っているくらいのキーアイテムである訳ですが、具体的にあの指輪が何なのかを理解できた方は少ないのではないでしょうか。
映画から読み取れる情報としては、
- 『サウロンの手に渡ると世界が危ない』
- 『はめると姿が消える』
- 『人を魅了し、執着させる』
- 『通常の方法では破壊できない』
…ということは分かります。あの指輪は何だったのでしょうか?
まずは前提知識から。
あの金色の指輪は、より正確には『一つの指輪』(One Ring)といいます。
どうして、わざわざ「一つの」と付けるかというと、他にも姉妹品の、魔法の指輪がいくつか存在しているからです。
それら指輪すべてをひっくるめた呼び方は『力の指輪』といいます。
ここは重要なところなので、覚えていてください。
ざっくり説明すると、一つの指輪の機能は以下のとおりです。
一つの指輪の機能
- サウロン自身の魔力の根幹であり、存在するかぎりサウロンも不滅となる。
- 自らの意思をもち、サウロンの元に帰ろうとする。
- 所持者の心を堕落させる。
- 所持者の寿命を引き延ばす。
- 所持者のもつ力を増幅し、野心をかき立てる。
- 指にはめると、所持者の姿を透明にする。
- 他の『力の指輪』の所持者を支配し、サウロンの支配下に引き入れる。
一見、てんでバラバラな機能に思えるかもしれませんが、これらは全て
『サウロンが中つ国の支配をするため』という目的では共通しています。
1~3の機能は、いわば指輪を保険としたサウロンの「無限コンティニュー機能」です。サウロンは肉体を何度滅ぼされようとも、指輪がこの世に存在する限り、再起のチャンスを残していることになります。そして、一度は指輪を失ってしまったとしても、指輪はサウロンの手元に帰って来やすい設計になっているのです。
4~5の機能は、指輪そのものが「闇の力によるパワーアップアイテム」だと解釈することができます。
サウロン自身が身につけた場合はもちろん、それ以外の人物が指輪を手にした場合でも所有者に大きな力を与えますが、同時に野心をあおり心を堕落させるため、相応の力をもたない者が所有することは破滅につながります。
真に指輪の力を使いこなせるのは、サウロン自身か、かれに対抗しうるだけの強い力をもった人物だけです。
6の「姿が透明になる」というのは表面的な効果でしかなく、実際の機能としては「指輪をはめた人を闇の世界(幽界)に引きずり込む」というもので、はめた人は闇の世界に入るので、結果的に普通の人の目には見えなくなる、というのが原理です。
闇の世界はサウロンやナズグル達のホームグラウンドですから、かれら相手には姿を隠すどころか、かえって見つかりやすくなってしまうのはそういう理由です。*4
そして7の「他の『力の指輪』の所持者を支配し、サウロンの支配下に引き入れる。」
これこそ、サウロンが一つの指輪を作った最大の目的です。
先ほど説明した通り、一つの指輪以外にも「力の指輪」は存在します。
当初、サウロンの計画はこうでした。
ところが、色々な事情が重なって、エルフとドワーフに対しては作戦失敗してしまいました。
ただ、人間にだけは成功したので、9人の人間の王たちはサウロンの支配下におかれ、恐ろしい『指輪の幽鬼(ナズグル)』と化してしまいました。映画でも印象の強い悪役のナズグルは、ですから元・人間なのです。*5
以上のことを頭に入れておくと、ようやく『ロード・オブ・ザ・リング』というタイトルの意味が分かるようになります。
『The Lord of the Rings』というのは、『指輪たちの主』という意味。
つまり力の指輪すべての主、サウロンのことです。
原題で指輪のことが「Ring」ではなく「Rings」と複数形で書かれているのも、力の指輪すべてを指していると分かれば、合点がいきますよね。
Ⅴ. ガンダルフは『魔法を使わない縛りプレイ』をしている
映画『ロード・オブ・ザ・リング』への感想としてよく目にするのが、「魔法使いが出てくるが、ぜんぜん魔法を使わないじゃないか!」という声です。
たしかに、現代のイメージでいう『ファンタジーものの魔法』というのは、激しい炎や雷を出したり、巨大な怪物を召喚したりと、ものすごく派手なイメージが強いですよね。そういう意味では、ガンダルフは魔法らしい魔法をあまり使っていません。
むしろ戦闘の最前線で剣をふるうガンダルフの姿は、ときに「魔法(物理)」なんて揶揄されたりもします。
それは何故なのでしょう。単に『指輪物語』が古い作品だから、最近の作品よりも魔法のあつかいが地味なだけなのでしょうか?
その話をするためには、かれら「魔法使い」というのは何者なのかを知る必要があります。
サウロンの正体について、もともとは「下級天使=マイア」だったと説明したのを思い出してください。
結論から言うと、じつはガンダルフたち魔法使いも天使である「マイア」なのです。かれらは大天使のヴァラ達から、「サウロンを倒す」という密命をうけて、中つ国に派遣されてきたエージェントなんです。
こう言うと、懸命な方はこう思われることでしょう。
『ガンダルフもサウロンと同格のマイアなら、自分がサウロンと直接対決すればいいのではないか?』しかし、ことはそう単純ではありません。
なぜなら、魔法使い達は「縛りプレイ」の真っ最中だからです。
本来のマイアは超常的な力を持ち、実体をもたない不老不死の精霊ですが、魔法使いとしての活動にあたっては、以下のような制約を受けています。
- 人間と同じような肉体を使って活動する(怪我したり死ぬこともある)
- マイアとしての能力はほとんど使用不可
- 自らがエルフや人間達の支配者になってはならない
コンティニュー不可で、能力もほとんど封印。おまけに自ら軍勢を率いてもダメ。
…でもサウロンはきっちり倒せ!…って、けっこうきつい縛りですよね。
この縛りをしなければならない理由は色々あるのですが、かいつまんで説明すると、
「大昔にヴァラやマイア達が実力行使でモルゴスやサウロンと戦った時、中つ国に甚大な被害が出てしまった(具体的には、地形が変わるほどの力のぶつかり合いにより、地面がえぐれてバルト海ができた)」
「本来、中つ国は唯一神エルが人間達のために作った土地なので、人間みずからの手で平和を勝ち取ることに意味がある」
…といった事情のためです。
ですから、魔法使いのスタンスは、あくまでも人間達が自力でサウロンを倒せるように影から援助していく役割なのです。
魔法使いはこのミッションのために何百年も中つ国を放浪しては、サウロンを倒す手段を探り続けてきました。
かれらが自ら正体や目的を語ることはありませんし、マイアの魔法の力でサウロンの軍勢と戦うこともありません。あくまで「助言者」の立場にとどまっているというわけです。
さて、「魔法を使わない」とは言いましたが、例外としてガンダルフが魔法を使ったケースもあります。せっかくですから捕捉しておきましょう。
映画でガンダルフが魔法を使ったシーンはいくつかあります。
たとえば1作目『旅の仲間』では、杖から閃光を発してバルログを石橋ごと叩き落とし、2作目『二つの塔』では、稲妻を剣に宿してバルログを倒したり、サルマンの呪いにかかっていたローハンのセオデン王を解呪するなどしています。
このように、ガンダルフが直接的に魔法を使った相手は限られています。
いずれも、自分と同格以上のマイアや常識はずれの太古の怪物であって、人間が自力では対処できない状況に限られています。助言だけではどうしようもないイレギュラーケースには、限定的に魔法を使っているんですね。
Ⅵ. 巨大クリーチャーや派手な魔法があまり出てこない理由
ところで、魔法以外の部分に関しても、全体的に『ロード・オブ・ザ・リング』は現代のファンタジー映画やゲームなどに比べると、わりとビジュアルが「渋い、地味」だとは思いませんか?
たとえばファンタジーならではの巨大なモンスターの登場頻度もそうです。
ドラゴンやゴーレム、翼をもつ悪魔、キメラや巨人などといった、見るからに現実ばなれしたクリーチャーはそれほど多く登場しません。
じつはこのこともにも理由があるので、説明しますね。
前に「数万年にもおよぶ長大な創世神話のうち、最後の数年間の部分が『ロード・オブ・ザ・リング』にあたる」と書いたのを思い出してください。
さらに頭に入れてもらいたいのは、この作品世界の大前提として『古いものほど凄い』ということです。
中つ国の歴史を順を追ってみると、そのことがよく分かります。
唯一神エルが世界を作りました。
↓
ヴァラやマイア達とモルゴスとの間で戦いが繰り広げられました。
↓
不老不死の種族である「エルフ」が誕生し、モルゴスやサウロンと戦いました。
↓
そして、さらに後になって寿命の短い「人間」が登場しました。
そう。時代が新しくなるにつれ、徐々に登場する種族のパワーがグレードダウンしているんですね。だから『古いものほど凄い』んです。
以上をふまえて『ロード・オブ・ザ・リング』の時代について考えてみましょう。
善玉の勢力については、ヴァラやマイアは戦いには干渉せず、遠回しに魔法使いを派遣するのみ。
エルフも徐々に中つ国を去っています。
いっぽう悪の勢力も、大ボスのモルゴスは追放ずみで、冥王サウロンも現在は指輪を奪われて弱体化している状態です。
もうお分かりでしょう。『ロード・オブ・ザ・リング』は歴史の終盤ゆえに、善と悪のどちらにも『古くて凄かった時代の残滓』しか残っていない、ものすごく衰退した状態で始まるんです。これが劇中にあまり派手な要素が登場しない、最大の理由です。
逆に言えば、もっと太古の昔には、想像を絶するような強大な存在や、凄まじい魔法がゴロゴロ存在していたということです。
で、じつは映画にも、そんな『古くて凄い』時代の生き残りが登場しています。
ひとつは『ロード・オブ・ザ・リング』の1作目と2作目に登場したモリアの「バルログ」。
もうひとつは『ホビットの冒険』の2作目と3作目に登場したドラゴン「スマウグ」です。
この2体は劇中の他のクリーチャーに比べて、段違いに凄まじい存在だということが画面から伝わってくると思います。
せっかくなので、バルログとスマウグについて少しだけ説明しましょう。
まずバルログは、モルゴスに追従して堕落したマイアがに変質したものだと言われており、つまり堕天使。サウロンと同質の存在です。
当時、モルゴスのもとには多数のバルログが集まっていましたが、ほとんどは古の戦いで倒され滅びています。ロード・オブ・ザ・リングに登場したのは、モリアの地下にいて生き延びていた1体だけです。
続いてスマウグです。
この世界におけるドラゴンは『モルゴスが作り出した生体兵器』という扱いです。モルゴスの全盛期には山よりも巨大な竜がいたり、スマウグのように空を飛び炎を吐く竜もたくさんいましたし、翼のない竜の大部隊もいました。
竜もほとんどは古の戦いで滅びていますが、少数ながら生き残った個体がいたようです。スマウグは『ホビットの冒険』の時代まで生き残っていた竜の中では、おそらく最強クラスの個体だと推測できます。
バルログやスマウグは『ホビットの冒険』や『ロード・オブ・ザ・リング』の時代に登場したからこそ際立って強力な存在になっていますが、これがモルゴス全盛期の頃ならば、さほど特別な存在ではなかったことでしょう。
古の時代にはあんな怪物がうじゃうじゃいて大戦争を繰り広げていたと思うと、どれだけ人智を超越した戦いだったのかという話です。スケールの大きさに思いを馳せずにはいられませんよね。
Ⅶ. 公式チート種族『エルフ』について
さて、今まで当たり前のようにエルフに触れてきましたが、ここで少しかれらについて掘り下げてみましょう。
映画では、とくにオーランド・ブルーム演ずるレゴラスが、アクロバティックなアクションと百発百中の弓矢の腕前で、記憶に残っていると思います。
他にも、裂け谷のエルロンド卿とアルウェン、森の奥方ガラドリエルも印象深いですよね。
エルフは人間と似ていますが、異なる種族です。
その特徴は、いいことずくめ。
- 「不老」
- 「不死」
- 「美しい容姿」
- 「背が高く細身」
- 「高い身体能力」
- 「すぐれた技術力」
- 「魔法やまじないの力」
- 「素晴らしい芸術や音楽を生み出す文化をもつ」
…これでもかという程の高スペック、公式チートです。
かれらは唯一神エルによって、中つ国で最もすぐれた種族として作られ、人間より先に誕生する運命だったため、歴史的にもあらゆる点で人間に先んじていました。
じつはエルフにも種類があり、大別して「上のエルフ(かみのエルフ=ハイエルフ)」と「暗闇のエルフ(くらやみのエルフ=ダークエルフ)」に分けられます。
どうして2種類に別れているかというと、こんな経緯があります。
エルフは中つ国に誕生してまもなく、ヴァラ達に気に入られて、ヴァラの住処である西の果ての国「アマン」に招かれました。それに応じてアマンへ渡った人々が「上のエルフ」です。
逆に、様々な理由でアマンへ渡らず、上のエルフにならなかった人々を総称して「暗闇のエルフ」と言います。
現在では「ダークエルフ」というと色黒な肌で闇魔法でも使いそうなイメージを持ってしまいますが、ロード・オブ・ザ・リングにおける暗闇のエルフはそうではありません。
なぜ『暗闇』という名前なのかというと、エルフがアマンに招かれた当時の中つ国には、まだ太陽や月がありませんでした。世界を照らしているのは、アマンにある「二本の木」という光る巨大な樹木だけだったので、木の光を直接見ていない人々を相対的に『暗闇のエルフ』と呼んだだけです。
上のエルフと暗闇のエルフの違いについて。
上のエルフは、アマンでヴァラやマイア達から技術や芸術について教わったために、特に素晴らしい文化や高い技術力を持っています。とくに才能のあるエルフは、ときにヴァラやマイアに肉薄するほどに優れている場合もあります。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』の劇中に出てくるエルフのうち、上のエルフにあたるのは森の奥方ガラドリエルだけです。
いっぽう暗闇のエルフは、エルフとして生来の能力は備えているものの、上のエルフほどの知識や技術力は持っていません。
このことを踏まえてみると、映画で描かれたエルフの町にもそれぞれの特色があることも分かります。
たとえばロスローリエンは、上のエルフであるガラドリエルの治める都市ですから、建築も精緻で流麗なイメージになっていることが見て取れます。(ガラドリエルから旅の仲間への贈り物も、特別な魔法の力を備えているもの、優れたものばかりでした。上のエルフの技術で作られているからです。)
裂け谷も、歴史的には上のエルフの隠れ家として建設された経緯があるため、建築は優雅です。
それに対して、映画『ホビットの冒険』に登場した闇の森を見てみると、明らかに洗練されていない土着的な雰囲気があることが分かると思います。闇の森は、純然たる暗闇のエルフの町だからです。*6
上記の説明は非常にざっくりとしたもので、エルフの歴史や氏族についてはこの何十倍も細かい設定があります。
「中つ国の歴史はエルフの歴史」と言えるほどにエルフの果たした役割は大きく、エピソードの多さも他の種族の比ではありません。それらを理解するためにはバックグラウンドの把握が必要不可欠と言ってよいでしょう。
興味の湧いた方は、手始めに「ヴァンヤール」「ノルドール」「テレリ」の意味を調べてみると、新しい沼の入り口となることうけあいです。
Ⅷ. アラゴルンは、アトランティスの末裔
映画『ロード・オブ・ザ・リング』の主役として、フロドと並ぶダブル主人公と言っても過言ではないのが、アラゴルンです。
アラゴルンは、若々しい力強さと老練な戦術家をあわせたような独特の佇まいが魅力的だと思います。冷静で達観しているところもあれば、アルウェンとの愛に悩む青臭さも持っている、ヒロイックなだけではない人間らしいキャラクターです。
そんな年齢不詳なアラゴルンですが、かれの設定年齢は、なんと80代後半!
外見からはとても老人には見えませんが、その理由を説明します。
じつは彼は普通の人間ではなく、とても長命な一族の血を引いています。
なぜなら、彼の先祖は特別な加護を受けた「アトランティスの生き残り」だからです。
唐突にアトランティスだなんて突拍子もない!…と思われるかもしれませんが、実際はそうでもありません。今まで何度も「指輪物語は創作神話だ」と強調してきましたが、実際の伝説から取材された設定もあるのです。沈没した幻の大陸アトランティスについても、トールキン流の独自解釈を加えて取り入れています。
その昔、モルゴスの軍勢とアマンから遣わされた上のエルフの軍勢とが激突した最終戦争が起きた時のこと。この時代にはすでに人間も誕生していて、ほとんどの人間はモルゴス軍に協力していました。しかし、一部の人間はアマンとエルフの軍に味方し、結果、戦争に勝利しました。
ヴァラ達は自分たちの側についた人間に恩賞として大きな島をつくり、与えました。
この島の名前は「ヌーメノール」といい、これがトールキン版のアトランティスに相当します。
そして、ヌーメノールの住人達のことは「ドゥーネダイン」といいます。ドゥーネダインはヴァラの加護により普通の人間の何倍も長寿で、とても繁栄しました。そして、アマンに住む上のエルフ達とも交流があったため、他の人間たちとは比べ物にならないほど高い技術力を持っていました。
しかし、やがて慢心したドゥーネダイン達はサウロンの陰謀に引っかかり、ヴァラ達に反旗を翻して、アマンへと攻め込もうとしてしまうのです。その天を恐れぬ所業に、唯一神エルは罰を下し、ヌーメノールを一夜にして海に沈めてしまいました。
このときドゥーネダインの大半は滅びましたが、ヴァラへの忠誠心を失わなかった数少ない一族はあらかじめ中つ国に脱出していたため、生き延びることができました。
このドゥーネダインの生き残りがつくった国が、映画にも出てきたゴンドールです。
ドゥーネダインは高い技術力を使って、各地に砦や街を築いて繁栄しました。じつは、映画の中でもその遺産を目にすることができます。映画に出てきた建築物のいくつかが、その他の人間の建築物に比べて、ものすごく高度な技術で作られていることに気づきましたか?
それらはいずれもドゥーネダインによる建築なんです。
これらの石造建築は、巨大なだけでなく、継ぎ目がほとんどなく硬質な建材で作られていたりして、他の人間の建築とは比べ物にならない技術力を感じさせます。
また、かつてはそれほどの栄華を極めていながら、現在のゴンドールは衰退して、モルドールの脅威の前に風前の灯になってしまっている、という過去と現在の対比にもなっているんです。
こういう知識をもった上で映画を見返してみると、また新たな発見や疑問が出てくると思います。『ロード・オブ・ザ・リング』はそれだけの奥行きをもった作品ですし、映画なんです。
Ⅸ. エルフと人間の「禁断の愛」について
『ロード・オブ・ザ・リング』のメインドラマのひとつである、アラゴルンとアルウェンの愛。
映画では3作を通して、種族と運命の壁を乗り越えた二人が結ばれたのは感動的でしたね。
この禁断の愛について、映画では『前例』があったことが語られていました。
アルウェンの父であるエルロンドが「かつて愛し合ったエルフと人間のカップルがいた」と語っています。このあたりのバックストーリーを知っていると、よりエモーショナルになるので紹介しましょう。
このドラマのキーパーソンは、じつは本人たちではなく父・エルロンドです。
おさらいすると、アルウェンはアラゴルンと愛し合っているわけですが、人間であるアラゴルンはいつか死ぬ運命。不老不死のエルフが人間と愛し合うことは、パートナーの死後に永遠の孤独を生きるか、もしくは後を追って自分も死ぬかという2択になってしまいかねないのです。
当然、アルウェンの父であるエルロンドは愛娘をそんな運命に追いやることは歓迎していません。
また、エルロンドはアラゴルンに対し、『娘と一緒になりたければ自分の運命を受け入れてゴンドールの王になれ』と条件をつけています。
この部分だけ見ると、エルロンドは『二人の愛を許さないエルフ脳の頑固親父』に見えなくもありません。
しかし、ここで新事実として、エルロンド自身が「エルフと人間の混血」であるとしたら、どうでしょう?
過去に存在したエルフと人間のカップル*7というのは、エルロンドの祖先(曽祖父母)なのです。
このため、エルロンド達の一族は「半エルフ」と呼ばれてます。
半エルフの一族は、二重国籍の人のように「不老不死のエルフの運命」と「死すべき人間の運命」を選ぶことが許されています。
エルロンド自身は、かつて「エルフの運命」を選び、エルフとしての人生を送ってきているわけです。
ここでさらに、もう一つの事実。
エルロンドにはエルロスという弟がいたのですが、エルロスは兄とは違い、「人間の運命」を選びました。
そして人間になったエルロスは、のちのドゥーネダインの始祖の一人となります。つまりエルロスの数千年後の子孫こそ、アラゴルンなんです!
エルロンドにしてみれば、娘が愛した相手であるアラゴルンは、「はるか昔に袂を分かって死んだ弟の、遠い遠い子孫」にあたります。
アラゴルンとアルウェンの結婚によって、一度はふたつに別れた半エルフの血脈はふたたび一つとなりました。
エルロンドはアルウェンの幸せを願うと同時に、かつて人間として生きる運命を選択した弟エルロスのことも思い起こしながら、万感の思いをこめてアラゴルンに『王になれ』と言い放ち、長年にわたって、彼の立身出世を援助し続けてきたんですね。
『王の帰還』ラストの戴冠式のとき、立派な王になってみせたアラゴルンのもとに愛娘を送り出す、エルロンドの心に去来する感慨はいかばかりだったでしょうか。
こういうことをふまえて戴冠式のシーンを観ると、エルロンドを演じるヒューゴ・ウィーヴィングの表情の演技がじつに泣けるんです…!
Ⅹ. 「モルドールまで、鳥に乗って行けばいいじゃん!」という誤解
映画ロード・オブ・ザ・リングを観る上で、予備知識がないと『ものすごいご都合主義』に思えてしまう要素は多々、存在します。
その最たるものが、『ピンチになるとやってくる、大きな鳥』の存在ではないでしょうか?
『旅の仲間』では、ガンダルフがサルマンに幽閉されて、塔から身投げした時に脱出を助けてくれました。
『王の帰還』でも、モルドールの黒門での最後の戦いの時、加勢にあらわれてナズグル達の相手を引き受けてくれました。
そして、フロドとサムが溶岩に囲まれ絶体絶命のときも救出してくれたのです。
そして、『あんなに強くて空も飛べる戦力がいるなら、最初からあの鳥たちがモルドールへ直行便で飛んで、指輪を破壊してくれればよかったのでは?』…というのは誰でも抱く疑問でしょう。
あの鳥達は何だったのでしょうか?
かれらは『大鷲(Great Eagles)』という種族です。(見た目のまま!ですが)
大鷲は、ヴァラ達のリーダー的存在である風の王『マンウェ』の使いです。大天使の眷属ですから神獣のようなものです。
大昔、ヴァラ達とモルゴスの軍勢が激突した際には、大鷲の一族はモルゴスの竜と渡り合い、強力な戦力として活躍したという由緒正しい存在であります。
大鷲はサウロンや闇の勢力とは敵対関係にあるものの、ガンダルフの使い魔や部下というわけではなく友人・協力者でしかありません。
ですから、ガンダルフの要請に応じて助けてはくれますが、それはかれらが善意で協力してくれているだけで、本来的には大鷲自身が人間のために命をかけて前線で戦うような義理もありませんし、誰もかれらに戦いを強制することはできません。
また、ガンダルフが「縛りプレイ」をしているのと同様に、ヴァラの使徒である大鷲が、あまり直接的な武力で人間達を応援するわけにはいかない事情もあるわけです。
でもそんな彼らだからこそ、黒門の戦いで圧倒的劣勢に追い込まれた状況で加勢しに駆けつけてくれることが感動的なのです。
それはすなわち、人間達が自らの力で中つ国を取り戻そうと全力を尽くしたという証左なのですから。
ガンダルフの魔法縛りと同様、大鷲達も闇雲に人間に力を貸すわけにはいかないのでしょうが、敵もサウロンやナズグルという普通ではない相手だったからこそ、かれらもここ一番の場面で力を貸してくれたのでしょう。
大鷲が決してご都合主義の産物ではなく、奥深い存在だということがお分かりいただけたでしょうか?
ちなみに映画では見られませんが、原作では人の言葉も話せてキャラが立っています。大鷲のファンになった方はぜひご一読を。
終わりに
いかがだったでしょうか。
年末年始、時間が余っている映画ファンの方は、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作を見返してみる絶好の機会だと思います。
この記事が役に立って、より映画の楽しみを増すことができればとても嬉しいです。
本記事で書いた内容のいくつかをより味わうためには劇場公開版よりも『スペシャル・エクステンデッド・エディション(SEE)』の追加映像を観ることで、さらなる深みを感じられるかもしれませんよ。
この記事で紹介した内容は、原作の設定の数十分の一、数百分の一にも満たないのです。混乱を避けるため、細かい固有名詞や専門用語もなるべく避けています。
説明を端折った部分もたくさんあるので、裏設定に興味が出てきた方には『中つ国Wiki』という結構詳細なサイトがありますので、入り口にしてみても面白いかもしれません。
ではでは、今年も本ブログをお読み頂き、ありがとうございました。
良い年末をお過ごしくださいませ!
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*1:より正確には、中つ国は地域の名前であって、世界そのもののことは「アルダ」といいますが、ややこしいので本稿では「世界=中つ国」で統一します。
*2:正確にはヴァラ、マイアは単数形の呼び方で、複数形はヴァラール、マイアールとなるのですが、ややこしいので本稿では単数形で統一します。
*3:厳密にはかれのヴァラとしての名はメルコールであって、モルゴスというのは後世につけられた仇名のようなものですが、ややこしいので本稿ではモルゴスで統一します
*4:アイテムは「そうび」しないと意味がない、という至言がありますが、一つの指輪は装着してはいけないアイテムなのです
*5:このあたりの経緯は、映画では1作目『旅の仲間』の冒頭、ガラドリエルのモノローグで触れられています。どれだけの人が覚えているかは疑問ですが・・
*6:厳密には、レゴラスやスランドゥイルといった王族だけはシンダールといって、上のエルフではないが暗闇のエルフより優れた「薄暮のエルフ」だったりするのですが、ややこしいので今回は省略
*7:このカップル(ベレンとルーシエン)にも実に多くのエピソードがあるのですが、ここでは割愛します。人間としては史上唯一生き返ったことのある「チート主人公」ベレンの活躍に興味の湧いた方はぜひ『シルマリルの物語』をご一読。