短文レビュー:『宇宙大怪獣ギララ』(1967)ゆるくて楽しい、癒し系怪獣映画
カルト作品として名高い映画。
本作を観たあとに残るものは『地球~♪僕たちの星~♪』だと言い切れる
ガメラシリーズの記事連投、申し訳ありません。
このままではブログが懐古趣味の怪獣映画記事で埋め尽くされる恐れがあるので、このへんでストップします。
とはいえ、本記事でとりあげる『宇宙大怪獣ギララ』は、『観てしまった以上、何かを書かざるをえない』ような作品でしたので、しばしお付き合いください。
本作は松竹が怪獣ブームに便乗して制作した、同社唯一の怪獣映画です。
『ストーリーが支離滅裂』『耳について離れない洗脳ソング』『低予算感あふれる特撮』と、味わい深い映画の必須要素をこれでもかと備えており、好事家にはたまらないカルト映画として有名です。
Wikipediaによれば上映時間わずか88分だそうですが、とてもそうとは思えないほど、体感的には長尺に感じます。
まあ直截的に言ってしまえば、タルいのです。
- 長々と続く、宇宙旅行のシーン
- 長々と続く、月基地でのお遊びタイム&くつろぎタイム
- 「宇宙船の船体に空いた穴を、人の尻でふさぐ」に代表される、しょうもないギャグ
- 主人公が理由もなくモテているだけの、どうでもいい三角関係の恋模様
- 昔の日本人男性の願望を具現化したような、男性を立て、お茶汲みする金髪白人美女
- 怪獣打倒のキーアイテムである貴重な物質を、一斗缶みたいな容器で運ぶのに代表される「雑さ」加減
まあこんな感じで、全体的に冗長かつ散漫で、しかも雑なのです。
とくにストーリーにそれが現れています。
なにせ、最初は物語の核心であったはずの『謎のUFO』が結局何だったのか、最後まで分からない!という大胆さ。
当初の目的は『地球からのロケットが謎の失踪をする事件の原因追求』だったはずが、いつのまにか『怪獣ギララの打倒』に目的がすり替わっているのです。
最後はギララを倒したことでなんとなくハッピーエンドを迎えてしまうんですが、肝心の『UFOやギララは何者で、どこから来たのか』『UFOは何がしたかったのか』は分からずじまい。
UFO自体は最後まで健在ですから、今後も引き続き、地球に危機をもたらすことでしょう。
あと、本作を語る上で外せないのが、テーマ曲『ギララのロック』。
タイトルロールではボニー・ジャックスの歌唱つきです。
『地球~♪僕たちの星~♪』という印象的な歌なのはいいのですが、この曲が全編にわたって、シチュエーションを選ばず流れます。
この呑気な曲がBGMとして繰り返し流れていることが、本作のゆるさに拍車をかけています。
加えて『AABΓ号』という、長くてわかりにくい主役メカのネーミング。
上記のような表記にすると普通に感じますが、『エーエービーガンマーゴー』と発音してみると、長音だらけでまるでお経のようなフレーズなのです。
このお経を、代わり映えしないBGMをバックにして繰り返し聞かされてごらんなさい。なんだか洗脳プロセスを受けている気分になります。
特撮シーンはショボいとよく言われるのですが、悪くないシーンも結構あります。
(宇宙のシーン、操演については壊滅的といえますが)
主役怪獣であるギララは『いかにも宇宙チック』な象徴的デザインで非常に好きです。いまだにガレージキットとかの造形物が作られるのもうなずけます。
これが松竹にとって唯一の怪獣映画だと思えば、十分に及第点なのではないでしょうか。
(少なくとも『ガッパ』よりは好きですね!)
私は長らくきちんと本編を見たことが無かったのですが、今回はじめて全編を観たところ、なかなか強い印象の残る作品でした。
ゆるくてレトロで楽しく、やたらポジティブで、夢がある映画です。
チープでツッコミどころ満載なのですが、あくまでそれに悪意はなく、ひたすら無邪気なだけだと言えます。
『ギララ』のノリは、決して『他社の怪獣映画を上回る、傑作を作ってやろう』と思って失敗したのではなく、『ゆるくて楽しい独自路線の映画』を作ろうとして、実際にそうなっただけという気がします。
本作はユニークな珍作であることは確かですが、だから駄作だとは私は思いません。
むしろ、こういう映画を体験することが、人生に厚みを出すような気もします。(サブカル的な意味で。)
しかし正直なことを言えば、『また見たい』とは思いません。
だって、退屈なんですもの。
さて、 『地球~♪僕たちの星~♪』が頭から消えるまで、どのくらいかかるかな?